【芸能】《ついに完結》朝ドラ史に残る最高のスタートダッシュからの急失速…「ブギウギ」が吉本、ジャニー喜多川の存在を描けなかった理由
【芸能】《ついに完結》朝ドラ史に残る最高のスタートダッシュからの急失速…「ブギウギ」が吉本、ジャニー喜多川の存在を描けなかった理由
「ブギの女王」として戦後の芸能界で大スターになった笠置シヅ子がモデルのNHK連続テレビ小説(朝ドラ)『ブギウギ』の最終回が3月29日に放送された。
昨年10月に放送が始まると、たちまち「傑作の予感」「名作」と絶賛が巻き起こり、“おしん超え”を期待する声も上がっていた。しかし2月を超えたころから徐々にトーンダウンした感もある。なぜ「ブギウギ」は最高のスタートを切りながら“失速”してしまったのだろうか。
『ブギウギ』のスタートダッシュは朝ドラ史に残る大成功だった。主演の趣里の子ども時代を演じた子役・澤井梨丘が、本作が初ドラマとは信じられないような芝居と歌で視聴者を圧倒したのだ。
澤井が歌い踊ると表情・仕草・歌声に目が釘付けにされ、どんな場所でもステージに見えてしまう。そんな澤井から本役・趣里へのバトンタッチが舞台のパフォーマンスとして描かれたのも“ズキズキワクワク”した。
そして主演の趣里が登場してからも、ステージパフォーマンスは圧巻だった。「ブギの女王」としての地位を確立した代表曲『東京ブギウギ』や、変化・進化を重ねた『ラッパと娘』など、毎週のように披露されて視聴者を楽しませた。
平気で噓をつく、朝ドラには珍しいヒロイン
主人公・福来スズ子を演じた趣里のエネルギッシュさや愛嬌はもちろん、作曲家・服部良一がモデルの人物を演じた草彅剛の“天才変人ぶり”、内なる怒りや苛立ちの奥行きある表現も素晴らしい。淡谷のり子をモデルとしたライバル兼親友ポジション役の菊地凛子も、愛情たっぷりの毒舌&ツンデレぶりがしびれた。
梅丸少女歌劇団(USK)編でも蒼井優や翼和希が魅力的な演技を見せたほか、人々の嘘や複雑な事情を断罪しない寛容さも印象的だった。オーディションで受かるために平気で嘘をつくヒロインや、お金を落としたと嘘をついて毎日タダで風呂に入りにくる「アホのおっちゃん」(岡部たかし)、記憶喪失の謎の男・ゴンベエ(宇野祥平)など、単純な“善人”とは言えない人々がチャーミングに見える演出は新鮮だった。
そうしたワケアリの人々を受け入れるヒロインの育ての母は「義理と人情」の人だが、一方で娘を実母に会わせまいとする嫉妬心や独占欲も生々しく描かれる。
ヒロインの弟も、場の空気が読めず人と同じことができない、今で言えばADHD的な特徴を持ちながら、正直さや優しさを併せ持っている。
いま振り返っても魅力的なキャラクターが本当に多く、彼らの名場面や名台詞が数多く浮かんでくる。
朝ドラは1日15分を週5話、それが半年続くので間延びしたり中だるみすることも多いが、『ブギウギ』は最終126話までエピソードが満載だった。
これは、笠置シヅ子の人生の波乱万丈さに支えられている部分が大きい。
出生の秘密を知らずに養父母に育てられ、少女歌劇団を経て上京して楽劇団へ。
東京で作曲家・服部良一と出会ってスターの道を駆け上がり、ブギの女王になり、エノケン(榎本健一)との共演で、女優業でも活躍した。
一方で弟を戦争で、養母や恋人を病で亡くして未婚の母になり、娘は誘拐未遂事件にまで巻き込まれている。『ブギウギ』に登場したこれらのエピソードは全て史実だ。
しかし同時に、1つ1つのエピソードは強烈なものの、そのつながりが“雑”だったという印象はぬぐえない。エピソードが強烈すぎて、朝ドラで大切な「丁寧な日常描写」がおろそかになっている雰囲気もあった。
そしてこれは想像だが、主人公のモデルが実在の人物で、しかも戦後という比較的近い時代が舞台なことも影響しただろう。
吉本興業の御曹司と恋に落ち、ジャニー喜多川との接点もあった笠置だが…
笠置シヅ子は戦前・戦後の芸能界を生きた人間で、関わった企業は現在の芸能界にも直結している。彼女は実際に宝塚、吉本興業、ジャニーズとの接点があった。
笠置は宝塚音楽歌劇学校の入学試験を受け、筆記と面接をパスしたものの、体格試験で落ちている。
笠置が恋をして私生児を産んだ相手は吉本興業の御曹司・吉本エイスケだった。2人が結婚できなかったのは、笠置の妊娠をエイスケが母親の吉本せい(吉本興業の創業者)に伝えておらず、後に大反対されたのが理由だった。笠置シヅ子の自伝『歌う自画像:私のブギウギ傳記』(1948年、北斗出版社)を読むと、エイスケはボンボンらしい世慣れた“ズルい”男だった印象を受ける。
しかし「ブギウギ」では、エイスケがモデルの愛助(水上恒司)はスズ子のファンの純朴なオタク青年として描かれていた。実は吉本エイスケは2017年の朝ドラ『わろてんか』に登場して成田凌が演じていて、個人的には同じキャストで毒のある吉本エイスケが見たい気持ちもあった。
またアメリカ公演で渡米した笠置を案内したのはジャニー喜多川だが、『ブギウギ』にそれらしき人物は登場しない。(富田望生が演じたスズ子の付き人がアメリカへ渡った時に「もしかすると性別を変えたジャニー喜多川的な人物として再登場するのか」と一部の視聴者が盛り上がったがそんな展開は訪れなかった)
笠置と言えば美空ひばりとの確執も有名だが、その問題は江利チエミや飛鳥明子など多くの実在の人物の要素をミックスすることで創作としてそれなりに納得できる演出になっていただけに、吉本エイスケやジャニー喜多川についてももう少しいい形があったのではないだろうか。
「みっともない面や、どうしようもない面もひっくるめて」とは言うが…
モデルがいても人物像は完全にオリジナルで作られた『らんまん』と異なり、『ブギウギ』は笠置シヅ子という人間をそのまま立体化したからこそ、史実に縛られる窮屈さと、不都合な部分にフタをする曖昧さを強いられたのかもしれない。
戦後の芸能界の闇を直視する骨太な作品を期待していた層の中には、吉本の御曹司との破談が美化され、ジャニー喜多川も登場せず、美空ひばりとの因縁もマイルドになるなど、全体的にふんわりした「良い話」に着地することに肩透かしを食らった人も多かっただろう。
脚本の足立紳氏は、各種取材で「人間の良い面だけでなく、みっともない面や、どうしようもない面もひっくるめて書いています」「人間のみっともなさとすてきさは、ほとんどイコールみたいなもの」などと度々語っている。
実際、スズ子を独占しようとした養母や、嘘をつく人々、誘拐未遂犯や、その犯人をスズ子が許容して雇うカオスなくだりなどは、足立氏の描きたかった世界が明確に見える気がした。
その一方で、現代にまでつながる芸能界のドロドロした部分、嫉妬やズルさ、醜さには触れず、美談としてまとめている。
母親の存在はフィーチャーされているが父親の扱いが妙に軽い、「同郷の親友」のはずが思い出しもしない、憧れの先輩が遺した子供と音信不通になるなど、サブキャラクターたちへの愛情が薄く感じたのも不満の1つだった。
役者陣の魅力とステージパフォーマンスは圧巻だった一方で、実在のモデルがいる人物を主役に据える難しさも感じた。「勢い」と「雑さ」が紙一重の、朝ドラらしい朝ドラだった。
(田幸 和歌子)