【芸能】中居正広のMC、香取慎吾の自虐ネタ、草彅剛のくつろぐ姿…SMAPの3人が『笑っていいとも!』でタモリ(78)から学んだこと
【芸能】中居正広のMC、香取慎吾の自虐ネタ、草彅剛のくつろぐ姿…SMAPの3人が『笑っていいとも!』でタモリ(78)から学んだこと
〈「密室芸人」「夜のイメージしかない」「主婦にウケない」散々な評判のタモリ(78)が『笑っていいとも!』司会者に抜擢された“納得の理由”〉から続く
放送終了後ちょうど10年を迎えた『笑っていいとも!』。ここでは『「笑っていいとも!」とその時代』(集英社新書)より一部抜粋。レギュラー期間の長かった出演者である中居正広、香取慎吾、草彅剛というSMAPの3人が番組に残した足跡をたどりながら、SMAPという存在が『いいとも!』の歴史において果たした唯一無二の役割を解き明かす。(全3回の2回目/#1、#3を読む)
◇◇◇
「光GENJIに憧れて芸能界に入ったのに…」自虐ネタの香取慎吾
では、『いいとも!』での3人は、実際どのように自らの役目を果たしたのだろうか? 彼らがレギュラーに就任した1994年から1995年は、SMAPがようやく歌手としても軌道に乗り始めた時期であった。1994年3月発売の「Hey Hey おおきに毎度あり」で初のオリコン週間シングルチャートの1位を獲得、さらに「オリジナル スマイル」(1994年6月発売)、「がんばりましょう」(1994年9月発売)という代表曲も生まれた。
そのことで、笑いという武器もいっそう輝きを帯びることになった。SMAPは、文字通り「本格的に歌とダンスができて、笑いもできる」という従来あまりいなかったタレントになったのである。『いいとも!』でも、彼らはアイドルと笑いの“二刀流”という唯一無二の強みを生かし、彼ららしい「遊び」の精神を存分に発揮した。
恒例になっていた香取慎吾のコスプレなどは、そのひとつだろう。
『いいとも!』出演時の香取は、まるで自分自身が広告のディスプレイであるかのように、毎週自分たちの新曲や出演ドラマの宣伝、なにかの記念日を祝うプレートなどを衣装の一部としてまとって観客や視聴者を楽しませた。そこには、他の番組などでもたびたび見せていた彼のポップアートのセンスが発揮されていた。
たとえば、『いいとも!』が5555回という節目の回を迎えたときには、大きくそのことを書いた衣装と花束を身に着け、番組終了後のトークでは「白馬の王子様のような光GENJIに憧れて芸能界に入ったのに、この格好でお昼にテレビに出てるとは」と自虐ネタで、笑いを誘っていた(2004年6月7日放送)。確かに、このようなコスプレは、かつての王子様的アイドルならば決してやらなかったことだろう。だが逆に言えば、だからこそ香取慎吾、ひいてはSMAPは、それまでにないアイドルになり得た。本人が意識していたのかはわからないが、そうした自負がにじみ出た場面である。
草彅剛は、『いいとも!』でも彼らしい純粋さの魅力を振りまいた。また時に自由で、あまり段取りにとらわれないところがハプニングを引き起こす場面もたびたびあり、その予測不能な面白さが生放送の『いいとも!』という番組にも合っていた。
公私ともにタモリとの関係性を深める姿も印象的だった。彼がひとり暮らしを始めたのは、ちょうど『いいとも!』のレギュラーになった頃。そのときもタモリはなにかと面倒を見ていた。そしてあるときから草彅は、正月はタモリの家でずっと過ごすようになった。タモリによると「17時間寝ている」こともあるなど、普段のハードスケジュールを忘れて自宅にいるかのようにくつろぐ姿が『いいとも!』のなかでもネタになったりした。
また総合司会がタモリで、『いいとも!』メンバーも大挙出演した2012年の『FNS27時間テレビ 笑っていいとも! 真夏の超団結特大号!! 徹夜でがんばっちゃってもいいかな?』では、タモリや出演者たちのために「100kmマラソン」のランナーになることを自ら志願し、完走した。その際、番組のエンディングでレギュラー全員が大縄跳びに挑む企画があり、その大縄を草彅がタスキ代わりにして運ぶという役割もあった。つまり、草彅剛が完走しなければ、最後の大事な大縄跳びができないことになっていた。そのことが象徴するように、彼にとっては、タモリのいる『いいとも!』が、リラックスできるとともに守るべき大切な居場所になっていた。
中居正広は、レギュラーになる前に『テレフォンショッキング』に何度か出演している。初登場は、1991年12月12日。このときは木村拓哉と2人での出演で、同じ高校の同じクラスで席も隣同士という話をしている。またタモリのSMAPのなかでバラエティに来るメンバーはいないのかという問いに、中居はひとが喜んでいる顔が好きと答えてバラエティへの興味を示していた。それから数年後、果たしてレギュラーになるわけである。
『いいとも!』レギュラー就任後における中居正広では、思いがけないところからベストセラーが生まれたことが印象深い。
『私服だらけの中居正広増刊号~輝いて~』(2009年刊行)は、『いいとも!』がきっかけで生まれた一冊である。当時火曜日のレギュラーだった中居正広がアルタ入りの際に着ている私服が独特のセンスだということが『いいとも増刊号』で話題になり、毎週撮影した私服姿の写真126点を集めて書籍化。「画伯」と言われる独特のユーモラスな筆致による絵(イラスト)も収めた同書は、58万部を売り上げる大ベストセラーとなった。発売日が2009年8月18日で彼の37歳の誕生日だったことから価格も370円と、隅々まで遊び心にあふれていた。
そこには彼一流のサービス精神もあったようだ。「写真撮るっていう意識があったから、派手なのがいいかな~と思って、夏も冬も結構、派手な服着ちゃってる」。本人曰く「イタい」服装には、ある程度自己演出も入っていた。
ただ、そこに彼の個性でもあるヤンキー的部分がにじみ出ていたことも確かだった。番組中の中居正広も、同じ曜日のレギュラーだったココリコ・田中直樹に悪ノリ的いたずらを仕掛けてそれがコーナーにもなるなど、やんちゃ坊主的なところがよく顔をのぞかせていた。
SMAPにとってタモリは大切なお手本だった
また、SMAPがアイドルとして笑いへの道を開拓するなか、バラエティ番組のMCに自らの進む道を思い定めるようになっていた中居正広にとって、タモリは大切なお手本であり、道標となったひとりだった。
あるとき、仕事の流儀を尋ねられた中居正広は、「感情を安定させていたい。それは喜怒哀楽を出さないとか感情を押し殺すとかいう意味ではなくて、いつでも相手の言葉を引き出したり、人の気持ちを受け入れたりできるということ」と語っている。その言葉には、司会のタモリが見せる共演者へのフラットさ、あの「無の状態」と重なるものがある。
同様にフラットな姿勢は、『いいとも!』における香取慎吾や草彅剛にも当てはまるものだろう。彼らがレギュラーになってしばらくした時点で、SMAPは押しも押されもせぬ「国民的アイドル」になっていた。もちろん3人が登場したときの観客席からの歓声もひときわ大きなものがあった。だが中居正広ともども3人は、それぞれの個性を発揮しつつも、『いいとも!』という番組にすっかり溶け込み、タモリを側面からサポートする役回りに徹していた。
〈「タモリさんの前では緊張しない」「一度も怒られたことがない」なぜタモリ(78)は多くの芸人たちから慕われ続けるのか?《『笑っていいとも!』最終回を振り返る》〉へ続く
(太田 省一/Webオリジナル(外部転載))