【芸能】スポーツ新聞が量産する「コタツ記事」書き手の正体は…? “本当の問題点”を考える
【芸能】スポーツ新聞が量産する「コタツ記事」書き手の正体は…? “本当の問題点”を考える
今回は「こたつ記事」について考えてみたい。こたつ記事とはテレビ番組での芸能人やコメンテーターなどの発言をそのまま引用して伝える記事だ。中には著名人のSNSやブログからコピペしただけのように見えるものもある。取材をせず、こたつの中に入ったままで書けるから、そう呼ばれている。
最近の具体例をあげてみると、
〈『アンミカ 水原一平容疑者の「巧妙な手口を見るほど、計画性…より裏切られた気持ち」』(デイリースポーツオンライン4月12日)
『上沼恵美子 冠番組打ち切りに恨み節「どれだけオゴったか」「肉、ふぐ、エスカルゴ」』(東スポWEB 4月14日)
『吉瀬美智子「急なお誘い」で集合した4人に「素敵すぎる」「美女の大渋滞」の声』(日刊スポーツWEB 4月15日)
『アジャコング 本名イジリに激怒「書くな呼ぶな」「惨めでキモイだけ」事務所NGにしていると明かす』(スポニチWEB 4月15日)〉
テレビ番組での発言、インスタグラム、Xでの発信をそのまま記事にしている。
「こたつ記事」量産のきっかけ
「こたつ記事」と誰が言い始めたのか調べてみると、ITジャーナリストの本田雅一氏が3年前に「こたつ記事という言葉はちょうど10年前に筆者が造語したもので間違いない」と書いていた(ITmedia NEWS 2021年1月7日)。
この時期に「こたつ記事」があらためて注目を集めた理由は、朝日新聞デジタルが『やめられぬ「こたつ記事」スポーツ紙が陥ったジレンマ』(2020年12月19日)という記事を掲載したからだ。
《コロナ禍に伴う緊急事態宣言でスポーツの試合やイベントが中止になり、記者が現場で取材することが難しかった。「対面の取材が減る中、ネットを見て記事を書くことが増えていた」。》
なるほどコロナ禍がさらなる量産のきっかけだったのか。
こたつ記事の問題点として、
・労力をかけずにPVを狙うこと
・報道機関に求められる「価値判断」や「検証」といった役割の放棄
・検証しないまま報じることでうそや間違いを拡散させてしまうこと
などを指摘している。
その一方、「こたつ記事はやめたいが、PVは必要。どうすればいいのか」と悩むスポーツ紙関係者の声も載っていた。
プロの記者が書いているのか?
スポーツ新聞好きな私は、本当にプロの記者がこたつ記事を書いているのかとずっと半信半疑だった。もしかしたら外部発注しているのでは? とも想像していた。なので、今回文春オンライン編集部経由でスポーツ新聞関係者に聞いてもらった。すると、
「ウチは外注などなく全て記者が書いています。次の日の会議で主な記事のページビューが発表されるのですが、誰が書いたかまで発表されます」
という答えが返ってきた。やはりこたつ記事はプロの記者が書いていたのである……。「PV獲得」のためにお仕事として割り切っているのだろうか。
私がこたつ記事の問題点だと考えるのは「取材せずに書ける」とか「誰でも書けそう」という部分ではない。「で、この件についてあなたはどう思うの?」という部分だ。
ここで紹介したいのが「週刊文春」で能町みね子氏が書いていたコラムである(2023年12月7日号)。能町さんの連載「言葉尻とらえ隊」は、ニュースやCM、芸能人のブログやXなどで見聞きした一言を調べ、掘り下げている。
能町さんは次のように書いていた。
「最高のコタツ記事」を目指す
《以前から私は冗談で、私自身のこの連載について「最高のコタツ記事を目指す」と言っていました。実際、私はネットを掘り起こして論考を加える手法なので、コタツから出ずにコラムを作れる。今後、私みたいな手法のものをコタツ記事と呼ぼうよ。》
そして、
《じゃあスポーツ紙のあれは何かというと、やはり「盗用」あるいは「剽窃」でしょう。犯罪っぽい名前にしないと止まらないよこれは。》
そうそう、こたつに入ったまま書けるから悪いんじゃない。論考や論評がないからダメなのだ。やはりここでも指摘されている。私は能町さんと今年3月にトークライブを行ったのだが、その時にこたつ記事の話も出た。
ネットを掘り起こして論考を加える“能町手法”には常々敬服していたので、まさにプロのこたつ記事だと伝えた。そして私がやっている当コラムも新聞や雑誌の読み比べが武器なので、こたつ記事であると自負している、と。
大事なのは何を引用するかであり、見つけた記事に対する論考をどう展開するかだろう。能町さんを見習いつつ、「お互い最高のこたつ記事を目指しましょう」ということになった。
スポーツ新聞だけじゃない
さて、最後に「(悪い意味で)究極のこたつ記事」を紹介したい。多くの方はスポーツ新聞のネットニュースをこたつ記事だと思っていないだろうか? でも上には上があるのだ。私が思う究極のこたつ記事はこれだ。
『麻生氏、上川外相の容姿に言及「そんなに美しい方とは言わない」』(朝日新聞デジタル1月28日)
自民党の麻生太郎副総裁の講演で上川陽子外相を「新しいスター」と持ち上げる一方、「そんなに美しい方とは言わない」「おばさん」と容姿に言及する場面があったという記事。
リード文の最後を紹介しよう。
《発言が物議を醸す可能性がある。》
これでは有名人の発言だけを載せるこたつ記事そのものではないか。いや、自分で火をつけておいて、あとは他人が怒るのを待つだけというイヤらしさは、通常のこたつ記事よりずっと姑息だ。朝日新聞はなぜこの時点で麻生氏の発言がダメな理由を書き、批判をしなかったのか。
「こたつ記事」の解決策とは
冒頭で紹介した記事を思い出してほしい。朝日新聞が書いた『やめられぬ「こたつ記事」スポーツ紙が陥ったジレンマ』だ。ここで何を書いていたか?
《ツイッターなどでの著名人の発言に批評や検証を加えず、そのまま紹介する記事はネットメディアなどで10年ほど前から目立っていた。》
同じ手法を使っているのに、この二枚舌はなんなのだ。ちなみに朝日新聞はこたつ記事の「解決策」として、
「マスメディアはPV競争からは撤退し、有料でも読まれる記事の発信に力を注ぐしかない」
という識者の言葉を紹介していた。朝日新聞さん、他人事ではないですよ。
ということで、今回は「究極のこたつ記事」について論評してみました。
(プチ鹿島)