【芸能】「バス旅」太川陽介の原点、大ヒット曲『Lui-Lui』とNHK『レッツゴーヤング』MC誕生秘話

【芸能】「バス旅」太川陽介の原点、大ヒット曲『Lui-Lui』とNHK『レッツゴーヤング』MC誕生秘話

「バス旅」太川陽介の原点、大ヒット曲『Lui-Lui』とNHK『レッツゴーヤング』MC誕生秘話「ピンク・レディーと狩人が司会になったんです。それが悔しくて悔しくて」
 1970年代から2020年代の現在までテレビバラエティに出続けている人は多くない。太川陽介さんは長きにわたり芸能界のトップで活躍された人だが、その…
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太川陽介さんが音楽界でどのように成長してきたのか、特に『Lui-Lui』のヒットの裏側や『レッツゴーヤング』のMCデビューについてのエピソードがとても印象的でした。

1 湛然 ★ :2024/12/30(月) 11:16:01.77 ID:DEYCdSHg9

「バス旅」太川陽介の原点、大ヒット曲『Lui-Lui』とNHK『レッツゴーヤング』MC誕生秘話「ピンク・レディーと狩人が司会になったんです。それが悔しくて悔しくて」
12/29(日) 6:02 双葉社 THE CHANGE
https://news.yahoo.co.jp/articles/bac8328e64d819b33622aaba8428ccf84480efe4?page=1
太川陽介 撮影/冨田望

(出典 fc.ismcdn.jp)

 1970年代から2020年代の現在までテレビバラエティに出続けている人は多くない。太川陽介さんは長きにわたり芸能界のトップで活躍された人だが、その中では大きな浮き沈みがあったという。ヒット曲や「バス旅」との出会い。軸足を置くことになる舞台の魅力。「バス旅」で見せる“リーダー”の決断力のごとく、その時々での判断が独自の道筋を生み出したようだ。太川陽介のTHE CHANGEとは?【第2回/全4回】

 司会者、俳優として活躍する太川陽介さん。もともとはアイドル歌手として1976年12月にデビュー。3枚目のシングル『Lui-Lui』がヒットし、『第19回日本レコード大賞』で新人賞を受賞。華々しい芸能界のスタートを飾った。

「僕がサンミュージックのオーディションで歌ったのが、さだまさしさんの『僕にまかせてください』という曲だったんですけど、事務所もそのフォークのイメージがあったせいか、デビュー曲も2曲目もフォーク調だったんです。だから、動きなく突っ立って歌ってました。それがいきなり3曲目で『Lui-Lui』ですから(笑)。歌って踊ってというのが恥ずかしかったですね。最初の頃の映像を見ると、なんか困ったな、みたいな感じで歌ってるんです。正直言って、楽しんで歌えるようになったのはここ最近ですよ(笑)。当時は小っ恥ずかしくて仕方なかったです」

 そもそも「『Lui-Lui』って何? わけわかんない」というのが曲をもらった時の正直な印象だったという。しかし半世紀近く経った今でも色褪せず歌い継がれる名曲となっている。

「やっぱり、(作曲の)都倉(俊一)先生の作る楽曲の魅力ですよね。今年(2024年)の夏にYouTubeで、小学生200人と『Lui-Lui』を歌うというサプライズ企画をやったんです。楽しかったし感動しました。子どもたちにとっては知るはずもない時代の曲なんですけど、みんな高らかに歌ってくれて、曲の力を感じました」

■NHK『レッツゴーヤング』の司会に抜擢

「バス旅」太川陽介の原点、大ヒット曲『Lui-Lui』とNHK『レッツゴーヤング』MC誕生秘話「ピンク・レディーと狩人が司会になったんです。それが悔しくて悔しくて」

 ヒット後、1979年には、NHKのアイドル番組『レッツゴーヤング』の司会に抜擢される。

「『レッツゴーヤング』に出るようになって2年目に入った頃、ピンク・レディーと狩人が司会になったんです。それが悔しくて悔しくて。番組から生まれた『あずさ2号』の大ヒットの流れに乗って狩人の2人が司会になって、ピンク・レディーと都倉先生と、5人で進行する形式になったんですけど、僕のほうがうまくできるのに…って思ってました(笑)。
 その席を奪いたいなっていうのはありましたから、その日の台本をもらって、ちょっとした喋るコーナーをもらうと、そこをなんとか面白くできないかな、というのを考えて、司会者5人より、何か面白いことを言えるようにというのをいろいろ事前に考えてました。そのうち、5人も司会がいるのに、そこに僕がちょっと加わるようになってきたんです。“よしっ!”と(笑)。
 少し手応えを感じてるときに、“夏に、アイドルを集めた特番をやるから司会をやってみないか?”ってプロデューサー言われたんです。それは完全にテストだったんですよね。その番組で司会をやらせてもらって、プロデューサーの眼鏡にかなったんでしょう。それで翌年に『レッツゴーヤング』の司会をさせてもらうことになりました。僕としては勝ち取ったぞ、という思いはありましたね」

(※以下略、全文は引用元サイトをご覧ください。)

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