【芸能】『あいの里』で話題の60歳女性を直撃。バブル時代に「ミス日本」、2度目の離婚後は「立ち直るまで10年近くかかった」
【芸能】『あいの里』で話題の60歳女性を直撃。バブル時代に「ミス日本」、2度目の離婚後は「立ち直るまで10年近くかかった」
Netflixが放つ『あいの里』は、35歳〜60歳の男女が人生最後の愛を育む、大ヒット恋愛リアリティーショーだ。なかでも目を引く存在が、最年長で同作に出演したみな姉氏(63歳、撮影当時60歳)。170センチの長身と抜群のプロポーションを維持し、過去には「ミス日本」に輝いたことも。だが、その人生は決して順風満帆ではない。彼女の半生を振り返り、その人生観に迫った。
◆2度の離婚の原因は…
――“恋愛”がテーマの『あいの里』ですが、一方で個々の出演者の人生にフォーカスする部分も魅力的に感じました。みな姉さんは過去に2度結婚と離婚をしていますが、両方とも相手の浮気が原因だとか。
みな姉:そうなんです。『あいの里』ではそこまで詳細に紹介していませんが、最初の旦那は合コンで知り合っていて。最初、全然いいなと思わなかったんです。むしろ、相手の男性陣のなかにいた別の人に私は惹かれていました。
――そこから元旦那さんの逆転があった。
みな姉:きっかけは、その別の男性から簡単に言うと遊ばれていたような状況があって、結構傷ついていたんですね、私が。で、スマホもない時代でしたが、「電話の声が暗かったから」と深夜に自宅まで顔を見に来てくれたんです。でも、決して家のなかには上がらない。本当にパジャマに上着だけ羽織って、顔を見て帰るんです。いつの間にか、硬派なところに惹かれていきました。
◆2人目の旦那は「連絡がつかなくなり…」
――2人目の旦那さんはかなり年下でしたよね。
みな姉:はい、40歳前後で交際をスタートさせました。相手はまだ大学生で、彼が卒業するのを待って結婚したんです。ある日、「事業をするために地方へ行く。軌道に乗ったら呼ぶから」と言ったまま連絡がつかなくなってしまって。調べて居場所がわかったときには、すでに女性との間に子どももいる状態でした。
――かなりの修羅場だったでしょうね。
みな姉:うーん、でも私が最初に感じたのは「彼を苦しませてしまったな」ということでした。また、相手の女性も同じく苦しかっただろうなと。だって、籍が入ったまま、妊娠して出産までしてしまったわけですから。そう思うと、ドラマとかでよくあるように、怒鳴ったり泣き叫んだりして気持ちを表現することができなかったですね。
◆立ち直るまで10年近くかかった
――『あいの里』でも感情を前面に出しませんでしたよね。年長者の振る舞いなのかと思っていましたが、あまり感情を出さないのは、もともとの気質なのでしょうか。
みな姉:そうかもしれません。もちろん内面では、とても悲しくて傷ついてはいるんです。事実、2人目の旦那の騒動のときは3年間毎日彼の夢を見ていました。夢の内容はさまざまです。「なんだ、帰ってきてたんだね」という夢もあったし、仕事が軌道に乗って呼んでくれた夢もありました。別れてからもずっと引きずっていて、恋愛をする気にもならなかったですね。40代半ばに離婚して、50代半ばまでの10年近くを立ち直るのに費やしました。
――かなり長い期間、引きずりましたね。
みな姉:そうですね。別れてからもずっと、好きだったときの気持ちが長く残り続けるんですよね。胸のうちの温かさが冷めていかないというか。だから過去の男性を恨んだりしたことはなくて、ずっといい思い出を覚えているタイプなんでしょうね。
◆バブル時代に釘を刺してくれた母の存在
――ただ、みな姉さんといえば日本大学芸術学部時代に「ミス日本」に輝くなど、輝かしい経歴をお持ちです。引く手あまただったんじゃないかと思うんですが。
みな姉:確かに、ちやほやはされますよね。でもどこかで、「この状態でずっといたらダメだな」とは感じていました。それから、時代もあったと思います。当時は、いわゆるバブルです。自分よりも圧倒的に社会経験もあって成功している大人たちが、飲み会に行っただけで「これ、タクシー代」なんてお金をくれる。もちろん身体なんて売らないし、何かを無理強いされたりもしません。そういう扱いに慣れてくると、「私って特別」という勘違いをしてしまうんです。恥ずかしいことですが、たとえば成功している人と自分が同じランクだと錯覚したり……。
――その勘違いのまま人生を突っ走らなかったところに、知性を感じます。きっかけはあったのでしょうか?
みな姉:もともと「こんな天狗になっていてはいけない」とは思いながらいろんな飲み会には参加していました。周囲はちやほやするばっかりで、私に注意してくれる人はいませんでしたが、強いて言うなら母親でしょうね。母親は芸能とは無縁の人生でしたが、とても美しい女性です。彼女から「今はいいかもしれないけれど、そのうち自分よりも若くてきれいな子が毎年出てくる。そのときに、若さとかきれいさだけを武器にしていたら、あっという間に人生が駄目になってしまう」と言われたのを今でも覚えています。
◆アヒルの絵本を作ったワケ
――紆余曲折を経て、これからの人生で成し遂げたいことは何でしょう。
みな姉:私は動物が好きで、『あいの里』でも紹介したとおり、アヒルを飼っているんですね。10数年前から、日本ではコールダックという鳥が飼育できるようになりました。これはアヒルを品種改良して小さくした、世界一小さなアヒルと呼ばれる種類です。大人の掌に乗る可愛らしさで人気なのですが、日本にはそれまで水鳥を飼う習慣がなかったことから、持て余す飼い主が増えてきて問題になっています。私は「あひるネットワーク」という団体に参加して、アヒルの飼育知識の普及、虐待や遺棄の防止などの活動をしています。
――アヒルといえば、みな姉さんは絵本『公園に捨てられたあひる―シャク爺の物語―』を作っています。
みな姉:はい。この絵本も、動物の遺棄を防止するきっかけになればと思い製作した経緯があります。社会的な問題として捉え、飼育できないからと無責任に捨てるのではなく、NPO法人に相談をしたり、SNSで里親探しをしたり、里親掲示板などのリソースを活用することを頭のどこかに置いてほしいと思います。
私は将来的には、“里親カフェ”をオープンできればと思っています。動物たちのストレスになりますから、実際に生体は置かず、里親を募集している動物のリストを閲覧できるカフェのイメージです。だからシンプルに喫茶店としても利用できますし、動物の遺棄問題についての倫理観を養える場所でもありたいですね。まだ構想段階であって、どこまで私の体力が持つのか未知ではありますが(笑)。でもそんな将来があったら素敵だなと夢を見ています。
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みな姉氏の語り口はしっとりとしつつ、確固たる芯を感じさせる。必ずしもハッピーエンドとは言えない恋愛に翻弄されても、楽しかった記憶を糧に、また明日も人を信じて前を向く。恵まれた体躯と美しい顔貌からは想像し得ないその健気さの繰り返しが、彼女の醸し出す雰囲気のすべてを作っているのだろう。
身勝手な飼い主に振り回された末、心ある別の人間に保護されて余生を生き抜く保護動物たち。その逞しさにみな姉氏の笑顔を重ねてしまうのは、少し深読みが過ぎるだろうか。
<取材・文/黒島暁生>
【黒島暁生】
ライター、エッセイスト。可視化されにくいマイノリティに寄り添い、活字化することをライフワークとする。『潮』『サンデー毎日』『週刊金曜日』などでも執筆中。Twitter:@kuroshimaaki
