【芸能】「愛人を殺害した演歌歌手」と「被害者の父親」が並んで記者会見したことも…視聴率のためなら“何でもアリ”「昭和のワイドショー」の衝撃

【芸能】「愛人を殺害した演歌歌手」と「被害者の父親」が並んで記者会見したことも…視聴率のためなら“何でもアリ”「昭和のワイドショー」の衝撃

愛人を殺害した演歌歌手と被害者の父親が並んで記者会見を行ったことは、今もなお私たちに強烈な印象を与え続けています。この出来事は、視聴率のために何でもアリとされた昭和のワイドショーの姿勢を象徴しているとも言えるでしょう。今後、メディアはその影響力に見合った責任を果たしていくべきだと強く感じます。

 ときには加害者と被害者の父親が並んで記者会見に出席する様子を、テレビで流したことも…。視聴率のためにエスカレートしていった昭和のワイドショー番組。その中心人物の1人である梨元勝氏の人生を、報道カメラマンとして活躍する橋本昇氏の新刊『追想の現場』(鉄人社/高木瑞穂編)より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/後編を読む)

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恐縮です。梨本です

 2010年6月11日、芸能レポーターの梨元勝氏が入院しているという話を聞き、入院先の東海大学医学部付属東京病院を訪ねた。ドアをノックして入ると、梨本氏がベッドにちょこんと座っていた。聞くところによると、梨元氏は肺がん、しかも末期だった。

「恐縮です。梨本さん」と声をかけると、眼鏡の梨元氏が笑った。やつれ果てているのではと想像していたが、思いのほか顔色がいいのにも驚かされた。

 ベッドにはいくつかのスポーツ紙が所狭しと並べられていた。さらに部屋には見舞いの花が並べられ、甘い匂いが鼻をくすぐった。

 梨元氏は1944年、東京中野区に生まれた。そしてなぜか中学時代から埼玉県に住む祖父と同居した。

 そして法政大学を出た後、女性週刊誌『ヤングレディ』の契約記者となる。

 が、彼は他社の記者に特ダネを抜かれてばかりのダメ記者だったらしい。ある俳優から「何にもナシモト」と揶揄されもしたというが元々芸能記者という仕事が水に合ったのか次第に頭角を表すようになった。

 彼はこれからは週刊誌という紙媒体よりもテレビだと気づき、コネを頼ってテレビ朝日のワイドショーのレポーターとして画面に顔を出すようになる。その頃のワイドショーはタレントや俳優のスキャンダルを毎日のように流しており、民放各局のレポーターたちは競ってタレントを質問攻めにし、泣かせたりしていた。

 なかでも梨元氏は、ワイドショーの看板レポーターとしていつも会見場のほぼ中央に陣取り、あのギョロ目の眼力でタレントを見つめていた。彼の流儀は、マイクを渡される前にまずタレントの目をしっかりと見据える。指名されると同時に「恐れ入ります、梨本です」と挨拶する。しっかりと裏取りしてタレントに質問をぶつける。完璧な証拠がなければ僕が恥をかき番組を干される──と彼は語った。

 あの時代は『FOCUS』『FRIDAY』などの写真週刊誌や、『週刊新潮』『週刊文春』のスクープが芸能人のゴシップをすっぱ抜き、ワイドショーが後追いして記者会見となる手順だった。各民放には「モーニングショー」「3時のあなた」「トゥナイト」など、“チャンネル”を回すと必ずワイドショーがあった。

被害者の父親が同席する「前代未聞の記者会見」

 なかでも印象深いのは、1983年の愛人のホステスを殺害し刑務所に8年服役した演歌歌手Kの記者会見だった。Kは出所後、殺害した愛人の郷里・岡山を訪ね、墓参りをして出所の報告をし会見を開いた。

 しかもその会見に殺された愛人の父親が同席するという、前代未聞の記者会見だった。視聴率のためとはいえ趣味が悪い。

 だが、何でもござれのワイドショーにも触れてはいけないタブーがあった。

「SMAP稲垣吾郎の逮捕」を“どの局も報じなかった理由”とは…芸能リポーター梨元勝(享年65)が生前に漏らした「芸能界のタブー」〉へ続く

(橋本 昇,高木 瑞穂/Webオリジナル(外部転載))

ワイドショーの立役者・梨元勝氏の人生とは? ©文藝春秋

(出典 news.nicovideo.jp)

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