【芸能】元フジ・渡邊渚さんが綴る自身の『健康状態』の変化… PTSD発症から2年が経ち 「生きることを選択できるようになってきた」
【芸能】元フジ・渡邊渚さんが綴る自身の『健康状態』の変化… PTSD発症から2年が経ち 「生きることを選択できるようになってきた」
1 冬月記者 ★ :2025/07/18(金) 18:47:55.40 ID:nwfv7kQt9
渡邊渚さんが綴る自身の「健康状態」の変化 PTSD発症から2年が経ち「生きることを選択できるようになってきた」
昨年8月末にフジテレビを退社した元アナウンサーの渡邊渚さん(28)。2020年の入社後、多くの人気番組を担当したが、2023年7月に体調不良を理由に休業を発表。退社後に、SNSでPTSD(心的外傷後ストレス障害)であったことを公表した。
約1年の闘病期間を経て、再び前に踏み出し、NEWSポストセブンのエッセイ連載『ひたむきに咲く』も好評だ。6月に初写真集となる『水平線』(集英社刊)を発売し大ヒット。そんな渡邊さんが、自身の「健康状態」の変化について赤裸々に綴ります。
PTSDの症状でなかなか上手くコントロールできなかったのが、あるはずのものがなくなる、できたことができなくなることで生まれる“虚無感”だった。
仕事ができない、そもそも普通に歩くことも字を書くこともうまくいかず、当たり前にできてきたことができなくなった。夢や目標、自分の好きなこと、全部失った気がした。
この先の将来について、明るいシナリオなんて一切考えられず、何もない自分には価値がないように思えて、生きている意味すらわからなくなった。健康とは程遠い日々の始まりだった。
「生きることが正しい」
「どんなに辛いことがあってもいつか幸せになれる」
「苦しんだ分、楽しいことがやってくる」
そんな言葉たちを今でも私は信じていない。そんなモヤモヤした2年間の闘病生活の中で、生きるために意識的にやってきたことといえば、“遠すぎない未来に、誰かと何かしらの破れない契約をする”というルールを自分に課すことだった。
「虚無感」が襲ってくる
例えば、来週自宅に友達がお見舞いに来る、来月家族でカフェに行くという契約だ。何不自由ない生活をしていれば、これらを契約とは思わないだろうが、当時の私には一つ一つが大きなイベントだった。
半年先だと遠すぎてそんなに生きていられないと心が折れてしまうから、1週間先や1か月先など近いところに予定を作る。自分だけの予定では気持ち次第でうやむやにできてしまうから、必ず誰かと約束をするようにした。
すると、他者を巻き込んでいるから契約は守らなければいけないという気持ちが強くなって、そこまではちゃんと生きようと思えた。友人に心配かけたくないし、会っている時に体調が悪化するのはよくないからと、治療への意欲も湧いた。
私にはこの方法が合っていたのか、期限付きのやるべきことがあると、生きている理由を与えられたようで、イキイキしていられた。独立して仕事を始めてからは、破れない契約がたくさんできたことで、生きる動機を定期的に作れた。それにホッとした自分がいた。
ただ、このルールの困るところは、一つの契約が終わると、それまで忘れていられた虚無感が一挙に襲ってきてしまうことだ。やるべきことはやったし、契約も果たしたから、また「もう生きる意味はない、この先楽しいことなんてない」という考えが頭によぎるようになって、うつ状態が始まる。
それが顕著に出たのが、1月下旬のフォトエッセイ『透明を満たす』の発売後だった。著書が本屋に並ぶのを必ず見届けるために、その日まで頑張って生きると契約していた。いざその契約が果たされると、達成感の喜びより、大きな目標を失ったという思いのほうが大きくて、まるで針でも降ってきたかのように虚無感が突き刺さった。
身体が重くてベッドから起き上がることもできず、ずっとどこかが痛くて、否定的な思考ばかりが頭の中を占めた。発売前の高揚感との落差があまりにも大きくて、この時のうつ状態は本当に苦しかった。その経験があったから、先月、写真集『水平線』を発売する時も、またうつ状態になることを覚悟して臨んだ。
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