【社会】自分を押し殺して生きるのがつらいときは…?脳科学者・中野信子先生が若き悩みにアドバイス
【社会】自分を押し殺して生きるのがつらいときは…?脳科学者・中野信子先生が若き悩みにアドバイス
|
「世の中のリアル」を伝えるをテーマに、未来に夢を抱くN/S高(N高等学校とS高等学校)の生徒たちへ向けた「学園生のための特別授業」。第6回は脳科学者の中野信子先生が登壇し、「『決める』とは?脳科学から考えよう」と題して実施された。
何かを決めるとき「個」を優先するか、「みんな(集団)」を優先するか。この迷いに初めてぶつかる年代の生徒たちと一緒に、もっとリアルな自分の意思決定について考えていきたい、と授業冒頭で語った中野先生。会場にリアル参加した生徒からは、自分の性格や人間関係の悩みや相談が相次いだ。実際にどのようなやり取りがあったのか、授業の一部を抜粋して紹介しよう。
――(生徒からの質問) 「自分の気持ちを殺さないと集団の中で生きていけない」という感覚がずっとあります。私は普通に学校に通って楽しい生活を送りたいです。これは私が「個」を優先し過ぎているからですか?
【中野先生】私みたいな人ですね(笑)。みんな多かれ少なかれ自分の意思を殺しているものですが、その割合がみんなより多いのかもしれませんね。そうすると、毎日頑張って殺しているのに、誰も褒めてもらえることもないし、やる気もなくなってしまいますよね。
私は大学に行ってそれが報われたところがありました。話の通じる人は一生のうちで必ず見つかります。学校では見つからなくても必ずどこかで出会えるし、出会えたときの喜びは本当に素晴らしいので、それを楽しみにしてほしいなと思います。「自分を殺しているな」という気持ちの人は、内的な世界の広がりはすごいので、一見、死んだ振りをしながら息を吹き返す場所を見つけるまで、(殺している自分を)飼っておくとよいと思います。
――(生徒からの質問) 自我、自意識などの自分を個たらしめる「核」のようなものは身体のどこにあるのでしょうか?そもそも存在しますか?
【中野先生】これは実はどこにもないんです。自分の領域というのを確かめようとして、いろいろな実験を繰り返して、「ここがその領域の範囲かな?」と思われたところにないんですね。自分の境い目というのはすごく曖昧で、脳が勝手に作っているんです。
私たちは現代人、あるいは近代以降の人間だから、自我というものをすごく大事と思ってるかもしれないけれど、まやかしかもしれないんです。でも仮にあると考えた方が便利に進む世の中なので、大事ということにされているけれど、近代以前の人間が本当にそう思っていたかどうかっていうのはわからないんです。もっと言えば古代人は集団意識で生きてたかもしれない。今ある自分の状況、世界、基本的な価値観に、実は洗脳されてるのかもしれないですしね。そういう可能性についても、ちょっと考えてみると深い議論ができるかもしれません。
――(生徒からの質問) 集団の意見を優先し続けてしまったときに、行きつくのが戦争であったり、誹謗中傷だったりするのでは?と考えています。脳科学の観点から、集団や群れることを優先する状態は脳にどのようなマイナスの効果を及ぼすのかお聞かせください。
【中野先生】皆さん多分、学校生活や社会人の方も会社で感じている方も多いのではないかと思いますが、個の意思決定を優先しようとすると、たちまち排除されたりすることがあります。災害とかパンデミックとかがあると、私たちは助け合う気持ちも強くなるのですが、ルールから逸脱した人に対する攻撃の気持ちも強くなるんですね。見方によってはよいけれども、見方によっては非常にまずい事態になります。
戦争が起こる仕組みというのも、これと無縁ではないだろうと考えられます。国際的に第3者から見たら、どっちが悪いか自明みたいなムードであったとしても、どちらにもどちらの言い分がある。その言い分が噛み合うことがなくて、暴力的な手段でしか解決できないというときに戦争になります。私たちの仕組みは、こういう爆弾みたいなものを抱えながらできてるのだということを知って、なるべく多くの人が犠牲にならないように考えていかなければいけないですね。
こうして、さまざまな質疑応答がなされ授業は白熱し、大盛況のうちに終了。受講した生徒からは「人前で話すことに苦手意識があるこのタイミングで、中野先生にお会いできてよかった」「自我が行動をするというより、行動が自我を作るんだなと学びました」と多くのコメントが寄せられた。