【社会】ソ連じゃ「軍用機から酒がとれた!?」 酒不足の時代に飲んでいたものとは? やっぱり闇で流通
【社会】ソ連じゃ「軍用機から酒がとれた!?」 酒不足の時代に飲んでいたものとは? やっぱり闇で流通
反アルコールキャンペーンの波が襲う1980年代後半のソ連。酒不足のなか、うらやましがられる職場のひとつが、アルコールが身近にある空軍の整備兵だったようです。
整備兵が飲んでいた「酒」それは…!
1980年代後半のソビエト連邦では、ゴルバチョフ政権が「反アルコールキャンペーン」を進めていました。早々に密造酒の材料に必要な砂糖やイーストは店頭から消え、なかには、靴磨きのクリームをパンに塗り、そこから染み出たアルコールを摂取する人も現れたといわれます。
当時のソ連国民の酒に対する執着はすさまじいものがありますが、そうしたソ連の酒飲みの間で、うらやましがられていた職場があったとか。そのひとつが、ソ連空軍の整備兵やパイロットです。
実は、1970年代から1980年代まで主力だったソ連製の軍用機の中には、人体に有害なメチルアルコールではなく、その気になれば飲めるエチルアルコールが、一部機体の冷却液や除氷剤として使われていました。
その中で最高級ブランドである“酔える冷却液”を“生産”していたのが、MiG-25(NATOコードネーム:フォックスバット)の偵察爆撃機タイプであるMiG-25RBです。
元々、MiG-25は除氷剤にアルコールが使われていました。これは「シャイロ」と呼ばれ、ソ連からアメリカに亡命するため函館にMiG-25を着陸させたヴィクトル・ベレンコさんが所属していた部隊では、整備兵がよく暇つぶしに飲んでいたという逸話もあります。
MiG-25RBでは上質な“酒”が手に入った
しかしMiG-25RBはこれとは比較にならない量のアルコールを提供します。同機には高高度を飛行する際の冷却液として、150から180リットルの“水とアルコールの混合液”が搭載されていました。この混合液にはアルコール度数30度と60度の2種類があったそうです。一般的なウォッカのアルコール度数が40度ですので、やや弱いか強い程度の、いい感じのアルコールが手に入ったわけです。
度数が低い方は「サルティガ」、強い方は「マサンドラ」と呼ばれ、整備兵は記録を誤魔化し飲んでいたといわれるほか、量としては「売るほど」あったため、「反アルコールキャンペーン」時代、軍内の密造酒として流通したという話もあります。そのため同機を「アルコール運搬機」と呼称する人もいたそうです。
しかし、このMiG-25RBよりもさらに、大量のアルコールを積んだ機体が存在します。Tu-22超音速爆撃機です。
この機体にはなんと400リットルもの希釈したアルコールが冷却液などとして搭載されたそうで、同機が配備された部隊では密造酒が大量生産されたほか、アルコール依存症と診断された士官を解雇した事例なども存在するそうです。
なお、ソ連(ロシア)にとって「反アルコールキャンペーン」は酒不足の序章にしかすぎませんでした。1991年のソ連崩壊後に伴う物資不足の方が、深刻な結果をもたらします。
このときMiG-25は退役が進んでおり、一部の偵察タイプを残すのみに減少。さらにTu-22も後継機のTu-22Mに置き換えが進み、同機にはわずか5リットルのアルコールしか入らなかったため、空軍にも大きな影響があったようです。結構この酒不足は、ゴルバチョフを大統領辞任に追い込んだ、酒好きのエリツィンが大統領になり、しばらくして解消します。
なお、現在ロシア軍が運用している機体にも、多少はアルコールを使用しているようですが、除氷液に使う微々たる量しか入っていないようです。