【漫画】手塚治虫の「最高傑作」は何か…多くの人が『ブラックジャック』をあげることへの強烈な違和感 「ぜったいに違う」と叫びたい

【漫画】手塚治虫の「最高傑作」は何か…多くの人が『ブラックジャック』をあげることへの強烈な違和感 「ぜったいに違う」と叫びたい

「塚」の文字は公式の表記「(塚)」と異なる可能性があります。 ポータル 手塚治虫 手塚 治虫(てづか おさむ、1928年11月3日 – 1989年2月9日)は、日本の漫画家、アニメ監督、医師。勲等は勲三等。学位は医学博士(奈良県立医科大学・1961年)。本名は手塚 治(読み同じ)。…
246キロバイト (40,289 語) – 2024年3月20日 (水) 02:07
「ブラックジャック」は確かに人気があるけど、手塚治虫の最高傑作は「鉄腕アトム」だと思う。アトムの人間らしさとロボットらしさを描いた作品は今もなお多くの人々に愛されている。

1 冬月記者 ★ :2024/03/27(水) 10:44:42.85 ID:52JlHFUn9

手塚治虫の「最高傑作」は何か…多くの人が『*ジャック』をあげることへの「強烈な違和感」

 手塚治虫が亡くなったのは、昭和が終わって一か月と二日後、平成元年の2月9日だった。

 生きているあいだは生年を2歳上に言っており(本来は昭和3年生まれだが大正15年生まれだと自称していた)、62歳で亡くなったとおもわれていたが、実は60歳での逝去であった。

 いま聞くと、60というのはすごく若い。60代に入って三か月と少ししか経っていなかった。

 先だって亡くなった鳥山明は、享年68。

 68とは若い、とおもったのは、ここ35年の世相の動きによるものだろうか。

 逆に言えば、手塚治虫の亡くなった年齢が鳥山明より8年若かったというのも、あらためて驚きである。

 手塚治虫が亡くなった当時、62での逝去(そのときはそう報じられた)について、あまり、若くして亡くなった、という報道がなかったようにおもう。

 たぶん戦争体験世代が人口のどれぐらいいるのかによって、反応が変わる事項なのだろう。

 手塚治虫の代表作は、と聞けば、いまの日本だと『*ジャック』と答える人がもっとも多そうである。

 亡くなって36年、晩年の作品が代表作だと認識されるのはしかたがないことなのだろう。

 でも、昭和中期から、つまり手塚治虫の活動の中期からリアルタイムで作品を読んでいるものとして、手塚治虫の代表作が『*ジャック』だと言われるのはきわめて強く違和感を覚える。

 世代の問題なのはわかるが、手塚の代表作が『*ジャック』だという発言を初めて聞いたときは驚愕した。何かの聞き間違いだとおもったくらいだ。

「ぜったいに違う」と叫びたい

 もちろん『*ジャック』は連載時に読んでいる。単行本も買って読んでいた。とてもおもしろいとおもう。素晴らしい作品だ。

 でも、これが手塚治虫の最高作とは、ちょっとおもえない。しかたない。生きている時代が違うというのは、そういうことなのだろう。

 大学の漫画研究会の少し上の人で、のちに小学館に入り編集者となった先輩(手塚治虫の担当もやっていた)とその話をしたとき、やはり「え、代表作は*ジャックじゃないだろう」と言下に否定した。そりゃそうだ。

 われわれ、1960年代前半から漫画を読み出している世代にとって、手塚治虫はリアルタイムに新作を発表しつづけるベテランであり、彼のあの猛烈なエネルギーを感じながら生きていた世代として、彼の世界を*ジャックで代表させるのは、ぜったいに違う、と叫びだしたくなるレベルの認識の差となる。

 手塚治虫の代表作は何か、というと、たしかにちょっと難しい。

 活動時期が長すぎて、しぼりきれなくなってしまう。なにせ全集が400冊なのだ。

 私は『火の鳥』である。

 「COM」時代の『火の鳥』だ。

 なかでも絞るなら、「未来編」と「鳳凰編」となるが、黎明編―未来編―ヤマト編―宇宙編―鳳凰編―復活編―羽衣編―望郷編―乱世編とつづくこの一連の作品をもって、手塚治虫の代表作だとおもっている。

 手塚治虫には「人気漫画家」としては浮き沈みがあった。

手塚治虫が知られたのは昭和21年(1946)の『新宝島』である。

 手塚のこの作品について書かれたものだけで多数にわたり、当時の衝撃が知れる。

 ここからいまに続く日本の漫画文化が始まった。つまり世界の漫画の原点と言ってもいい作品である。

 本来なら、本作を手塚治虫の代表作とするべきだろう。

 しかし、この作品があまりにも画期的すぎて、ここで示された可能性をあらゆる人が引っ張り出して拡張していまの漫画世界を作り上げたので、いま読むと、何が画期的なのかがわかりにくい。

 前提としているものがあまりにも違いすぎて、知識なしにただ読むだけではこの作品の革新性にはなかなか気づかない。

 それにつづく時代、いわばこの分野の日本の漫画をひとりで担っていた昭和20年代の前半は手塚の第一次の全盛期である。

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