【芸能】ラサール石井がコントをやらなくなったきっかけはダウンタウンの登場「そこからネタを作るのをやめてしまいました」

【芸能】ラサール石井がコントをやらなくなったきっかけはダウンタウンの登場「そこからネタを作るのをやめてしまいました」

ラサール石井がコントをやらなくなったきっかけはダウンタウンの登場「そこからネタを作るのをやめてしまいました」
 渡辺正行さん、小宮孝泰さんとともにお笑いトリオ「コント赤信号」を結成氏、『オレたちひょうきん族』などで活躍してきたラサール石井さん。近年は舞台のほ…
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ラサール石井さんがコントをやらなくなった背景には、ダウンタウンの存在が大きかったとのこと。彼らの登場がコント界に与えた影響は計り知れず、伝説のコント作家が彼らのスタイルに刺激を受け、独自の道を歩み始めたのかもしれません。新しい時代が到来する中で、彼の選択は非常に興味深いですね。

1 muffin ★ :2024/12/13(金) 18:28:55.23 ID:llMJI8N89

https://news.yahoo.co.jp/articles/179254868688f50ad1dfd0743cd3565e61b296a1

(出典 newsatcl-pctr.c.yimg.jp)

12/13(金) 17:32

渡辺正行さん、小宮孝泰さんとともにお笑いトリオ「コント赤信号」を結成氏、『オレたちひょうきん族』などで活躍してきたラサール石井さん。近年は舞台のほか、ラジオ、映画、新聞のコラムなどで活躍中する彼の「THE CHANGE」とは。

漫才ブームの頃に売れたのは、とても幸運でした。まず今とはお笑いタレントの数が違います。当時はせいぜい30組程度でしたので、すっごく売り手市場でした。でも今は何千組といます。だから今のほうが全然、笑いも高度。僕らがやっていたことなんて、今と比べれば幼稚園児のレベルだと思いますよ。

舞台の世界に足を踏み入れたのは、早稲田大学に進学し、ミュージカル研究会に入ってからです。人が少なくて、1年生ながら作・演出を担当しつつ出演もするという経験をしました。それが演者もできるという自信につながって、喜劇の劇団であるテアトル・エコーの養成所に入ることに。ここで出会ったのが、その後、『コント赤信号』を組むことになる渡辺正行と小宮孝泰だったんです。その後、縁あって、コメディアンの杉兵助に弟子入りし、渋谷のストリップ『道頓堀劇場』の幕間コントに出るようになりました。
(中略)

その後、スカウトされて『花王名人劇場』など高視聴率番組に次々と出られることがあって、『オレたちひょうきん族』にも起用されました。ビートたけしさん、明石家さんまさん、島田紳助さんなんて、テレビの中の人っていうイメージなので、一緒に仕事をできることになって、本当にびっくりしたのを覚えていますよ。

3人でのコントをやらなくなったのは、漫才ブームが終わったこともありますが、ダウンタウンが登場したのがきっかけとも言えますね。初めて見たとき、「お笑いには、まだこんなやり方があったのか」ってびっくりしました。大阪でダウンタウンとコント赤信号でライブをやったことがあったんですが、あっちはドッカンドッカン盛り上がっているのに、僕らが登場したら、シーンとなって……。帰りの新幹線で落ち込みましたよ。そこからネタを作るのをやめてしまいました(笑)。

その後、知的タレントみたいな枠でテレビ番組に出演させてもらうことにもなりました。当時、この枠は、僕と辰巳琢郎さんくらいしかいませんでしたので、ここもライバルが少なかった。あと問題もまだまだ簡単だった*。今は、この路線も厳しいですよね。東大、京大、ハーバード出身のタレントだっている時代ですから。

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