【芸能】「自宅を出る前に涙が止まらず、必ず吐いていた」芸能活動中に病気発覚…中央大卒の元高学歴アイドル(33)が明かす、引退を決意した“本当の理由”
【芸能】「自宅を出る前に涙が止まらず、必ず吐いていた」芸能活動中に病気発覚…中央大卒の元高学歴アイドル(33)が明かす、引退を決意した“本当の理由”
メンバーの脱退や卒業、グループの解散が相次ぐライブアイドル界。ステージで華やかな笑顔を見せていたアイドルたちのセカンドキャリアは、課題として常にある。
自身もかつてグループアイドルのメンバーとして活躍、会社員生活を経て、エンタメ事業のセカンドキャリア支援を手がける株式会社ISCareerを立ち上げた星野愛菜さん(33)も、輝かしいステージを離れたアイドルの課題解決に取り組む。
今でこそ、経営者として信念を抱いて突き進むが、過去には2度の「ドクターストップ」によって、夢描く道がついえた時期も。かつて「絶対売れてやる!」と意気込んだ星野さんのアイドル時代から、芸能界引退までの軌跡をたどった。(全2回の1回目/2回目に続く)
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「MARCH以上の大学へ行けるなら芸能活動をやってもいい」と言われ、中央大学に入学
――現在は33歳で、2024年3月からエンタメ業界のセカンドキャリアを支援する株式会社ISCareerの代表取締役を務めていらっしゃいます。
星野愛菜さん(以下、星野) 会社設立と共に現役アイドルや元アイドルの子がキャストを務めるアイドルカフェ「Luna Amour(ルナアムール)」をオープンして、2025年4月には、2号店「Luna Chouchou(ルナシュシュ)」もオープンします。
――星野さん自身もかつて、アイドルを経験されていたんですよね。
星野 大学2年生の時、19歳でオーディションをきっかけに事務所へ入って、アイドルの研究生としてステージデビューしたのは20歳でした。でも、元々はシンガーソングライターを目指していたんです。高校時代に歌手の絢香さんに惹かれて、大学受験では親から「MARCH以上の大学へ行けるなら芸能活動をやってもいい」と言われたので、必死に勉強して中央大学を受けました。
無事に合格して大阪からの上京後は、ヴォーカルの“師匠”に弟子入りして。そこでシンガーソングライターとしてのデビューを控えていたんですけど、ひょんなことから受けたアイドルオーディションで、以前所属していた事務所の社長から声をかけていただいたんです。「歌は何歳になっても歌えるけど、アイドルは若いうちにしかできないから経験としてやってみよう」と思い、アイドルの世界に飛び込みました。
パフォーマンスを認めてもらえず、スタッフから「存在価値がないとも言えるよ」と…
――歌の経験はもちろんあったと思いますが、ダンスの経験はあったんですか?
星野 まったくなかったので、見よう見まねで踊っていました。何を練習すればいいのか分からず、レッスンで習ったことを復習するために、毎日、4~5時間は自主練していたんです。歌もけっして得意ではなく、ボイストレーニングの経験があっても歌割りをもらえるほどではなかったし、ソロパートをいただくまではけっこう時間がかかりました。
――アイドルとして、いわゆるプロの洗礼を浴びたんですね。
星野 パフォーマンスを認めてもらえない期間が長くて、私を見に来てくださるファンの方もつかず、当時のスタッフさんからは「存在価値がないとも言えるよ」と言われたんです。正直、傷ついたんですけど、誰かを元気づけたくてステージに立っているのに、求められないのであれば「意味がない」とその一言でハッとしました。
「できる限り、アイドルに時間を費やしたい」1時間しか寝ないで芸能と学業を両立したことも…
――アイドル活動と大学生活の両立で、苦労もあったのではないでしょうか?
星野 意外となくて、大学は1~2年生で必要な単位をすべて取っていたし、3~4年生はゼミで通う程度でした。特に、アイドルになってからは「できる限り、アイドルに時間を費やしたい」と思って、頑張って勉強したんです。でも、卒論提出までの1ヶ月間はしんどかったですね。
ゼミのある日は自宅から大学まで片道2時間かけて通い、15~16時ごろにスタートするレッスンも穴をあけたくなくて、卒論は他のゼミ仲間との共同研究だったので「ゴメン!」と言って、大学を飛び出していました。毎日の睡眠時間は1時間ほどで、レッスンやライブ本番のあとは自宅でせこせこと卒論を書き、留年もせずに卒業するという親との約束を果たしました。
――無事に大学を卒業して、研究生からグループアイドルのメンバーに昇格したんですね。
星野 研究生のときは昇格のチャンスをことごとく逃して、ようやく正規グループとしてデビューできました。でも、手放しで喜んでいたわけではなかったです。
研究生を2グループに分けてのデビューとなり、ファンの方から「人気のない方のグループに入ったね」と言われたのが悔しくて「絶対に売れてやる」と意気込んでいて。リーダーを任されたので、メンバーを鼓舞しながら休日返上で体力を付けるために走り込んだり、まさに青春でした。
「中央大学を出てアイドルを続けるなんて、どういう神経しているんだ」
――いわば、企業に就職することなく、アイドルを続ける選択肢をえらんで。周囲からはどんな反応があったんでしょう?
星野 就活の時期、弟には「中央大学を出てライブアイドルを続けるなんて、どういう神経しているんだ」と言われたし、ゼミの先生からは「企業を紹介するから、就職試験を受けなさい」と言われました。
大学の友人にも「いいところに就職できるんだから」と説得されて。ライブを見に来てくれた友人は「人生かけてやっているんだね」と納得してくれたんですけど、賛成していた子はほとんどいなかったです。
両親も大反対で「アイドルを今すぐ辞めなさい」と言われたんです。毎日のように電話がかかってきて、当時はメジャーデビューも決まっていなかったし、将来が不安定だから「アイドルを続けるのは許さない」とまで言われたんですけど、親心を受け入れながらも「どうしても続けたいから、私は死んだと思ってほしい」と返しました。
――当時はなぜ、それほどまでかたくなにアイドルを続けようと思ったんですか?
星野 絶対に「売れてやる!」という思いに、迷いがなかったからですね。でも、お金にこだわっていたわけではないんです。やりたいことを実現できる人生は貴重だし、チャンスをいただいている以上は、周囲の気持ちも無駄にしたくなかったので。アイドルとしての活動で心が満たされていたし、一般企業に就職したら「後悔する」とも感じていたので、強引に続けました。
「これ以上やると歩けなくなるよ」椎間板ヘルニアが悪化してアイドル卒業
――ライブアイドルで稼ぐのは“難しい”とも聞きます。専業となってから、収入面はいかがでしたか?
星野 大学卒業後は親からの援助もなくなり、当初はずっと、もやしばかり食べていました(苦笑)。専業になってから昇格するまでの期間は空いていて、ステージを見に来てくれるお客さんも増えず、生活はカツカツで所属事務所のスタッフさんにも支えられていたんです。
大学時代から暮らしていたアパートがレッスン場に近い好立地で、お金もないから引っ越すこともできず、家賃8万円すらも稼ぐのに必死で。じつは、出張で東京へ来た父がこっそりお小遣いをくれたときもあったんですけど、途中からは「自立すると宣言したし、もう大丈夫」と言って、自分から断りました。
――アルバイトをかけ持つアイドルの方もいますが、当時の星野さんは?
星野 しようとは思ったんですけど、しなかったですね。アルバイトするぐらいなら、アイドルのために時間を使いたくて。なんとなく稼いで、生活できる状況を作るのも嫌でした。
――ただ、それほど情熱をかけていたアイドルを、2017年2月に卒業しました。
星野 ずっと抱えていた椎間板ヘルニアが悪化して、病院の先生からドクターストップがかかってしまったんです。診察で「これ以上やると歩けなくなるよ」と言われて、ダンスはもちろんできなくなるし、ずっとアイドルを続けようと思っていたのでショックでした。
でも、卒業のタイミングかなとも思ったんです。当時のグループでは、初期メンバーとして唯一残っていたのが私で、自分の存在が「グループの成長を止めている」とも感じていたし、迷いなく決断できました。
「末期だから、まずいですよ」うつ病が発覚して芸能界引退
――その後、アイドルグループ在籍末期から続けた男女ヴォーカルユニットの活動は継続したものの、2018年7月には芸能界を引退します。
星野 27歳でした。当時は理由を公表していなかったんですけど、うつ病だったんです。
アイドル卒業時と同じくドクターストップで、毎日のライブ配信を見ていた母からふと「日に日にやせていっているから、心療内科に行きなさい」と連絡が来たんです。診察を受けた先生からは「末期だから、まずいですよ」と言われました。
――自覚はなかったんですか?
星野 振り返ると、おかしかったとは思います。自宅を出る前に涙が止まらず、身体が震えて、必ず吐いていたんです。でも、当時は日常的になっていたので、感覚が麻痺していました。病院の先生に「追い込みすぎ」と言われて、ユニットでコンビを組んだアーティストの大先輩に追いつこうとして、今思えばたしかにがむしゃらだったんです。
同世代の女の子と励まし合える環境からの変化もあり、誰にも相談できずに「早く追いつかないと」とプレッシャーを抱えながら、自宅と仕事場を往復する毎日を過ごしていて、知らぬ間にガタが来ていたんだと思います。
――最後のステージは、芸能界引退ライブとなりました。
星野 うつ病の診断を受けたのは2018年1月で、病院の先生には「すぐ辞めないと、ダメですよ」と言われました。でも、「ずっと歌い続ける」とファンの方々へ伝えていたのに、突然「辞めます」となったら気持ちを消化しきれないだろうと思い、病院の先生には「誕生日を迎える7月まではやります」と言い切って、半年かけてファンの方々にも心情を打ち明けて「またね」と言って、ステージを降りました。
写真=三宅史郎/文藝春秋
〈「これほど毎日つまらないのか」病気でアイドル引退→大企業に就職したが…中央大卒の元高学歴アイドル(33)が語る、セカンドキャリアの苦労〉へ続く
(カネコシュウヘイ)
