【芸能】医師から「きれいだから、モデルでも芸能人にでも」と…元TBSアナウンサーのアンヌ遙香(39)が明かす、“ハーフ”に悩んだ幼少期

【芸能】医師から「きれいだから、モデルでも芸能人にでも」と…元TBSアナウンサーのアンヌ遙香(39)が明かす、“ハーフ”に悩んだ幼少期

アンヌ遙香さんのインタビューを拝見し、彼女が幼い頃に抱えていた「ハーフ」としての苦悩に深く共感しました。美しさの裏には、自己のアイデンティティを模索する苦しみがあったのですね。同じような経験をしている方々に勇気を与えるとともに、彼女の成長を見守りたいです。

 昨年、8年ぶりに公の場に姿を見せた元TBSアナウンサーの小林悠さんこと、アンヌ遙香さん(39)。現在、生まれてから高校までを過ごした北海道に住み、東京と2拠点で仕事をしている。

 2024年3月に文春オンラインにインタビューを掲載したが、今回改めて、TBS時代から、退職後、現在の活動に至るまで話を伺った。(全3回の1回目/続きを読む)

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新しい名前で活動を再開した理由

ーーアンヌ遙香さんという新しいお名前で活動を始められましたが、TBS時代の小林悠さんはご本名なんですよね。

アンヌ 小林悠は本名なんですが、今、グーグルで検索すると、川崎フロンターレ所属のJリーガー、小林悠(こばやし・ゆう)選手が一番にヒットします。8年も休んでいた私が、小林選手にご迷惑をおかけしたくないということもあって(笑)アンヌ遙香としましたが、歳を重ねて小林悠がしっくりこなくなったという理由もあります。

 当初は「はるか」と、ひらがなにしようと思っていたんですが、一応、芸能人の端くれということもありまして(笑)、今回再出発するにあたり姓名判断していただきました。そうしたら、画数がよくない、漢字にした方がいいということで「遙香」と。「遙」は画数が多い旧字の方です。

ーー帰国子女ではないんですよね。最近、ミックスルーツの方でアンヌさんのように日本名と外国語名をかけ合わせた方が増えました。

アンヌ 生まれも育ちも北海道なんですが、父はアイルランド系のアメリカ人で母が日本人。だからミドルネームで「アンヌ」という名前も持っていたのに、ずっと使っていなかったんです。

 いきなりディープな話になりますが、子供の頃、私の顔が目立つものだから、母親がだいぶ嫌な思いをしたらしいんです。

 赤ちゃんの頃、BCGというハンコ型の跡が腕に残る注射をしますよね。母はその跡が大人になってもずっとのこりつづけるのではないかと、お医者さんに「目立たないところに打つことはできないんですか?」と、軽い気持ちで聞いたら、「できない。跡が残ったところで、お嬢さんはきれいだから、モデルでも芸能人にでもなれる」と言われたことが相当ショックだったし、いいしれぬ怒りを覚えたそうです。

ーー外見や容姿を重視している人、と思われたくなかったんでしょうか。お母さん、進歩的な方ですね。

アンヌ 母も父も大学教員で、人より理屈っぽかったり考えすぎるところもあるかもしれませんが、その当時でも、北海道ではハーフの子がまだ珍しかったんだと思います。家族で行った旅行先のホテルの広い食事会場でじろじろ見られたり、声をかけられたりして、私もそれは変だなと思っていました。

 母や父は外見を売りにしない人生を歩んでほしいと思っていたようです。メイクや服装にも厳しかったですが、その分本はたくさん買い与えてもらったり今の自分の性格の素地はそちらにあると思います。

とにかく“とがって”いたTBSアナウンサー時代

ーーTBSのアナウンサー時代は、ラジオ番組『ザ・トップ5』で共演されていたジェーン・スーさんから「ナタリー」と呼ばれていたので、ナタリーがミドルネームかと思っていました。

アンヌ 家族内でのあだ名が「ナタリー」だったとスーさんに話したところ、面白がっていただいてそれからナタリーと呼ばれていましたね。

 TBS時代、私はとにかく“とがって”いたもので(笑)、「自分からハーフとは言いません!」という、意地みたいなものがありました。顔を見ればすぐわかるのに。いまになって思えば「アンヌ」も使えばよかった、もったいないことをしたと思います。

ーーアンヌさんは、学生時代にフリーアナウンサーを多く抱える事務所、セント・フォースに所属されていましたが、元々アナウンサーを志望していたんですか?

アンヌ 若い時からずっとこんなハキハキ口調だったので、お茶の水女子大学に入学してすぐ、友達からアナウンサーになればと勧められたのがきっかけで、意識するようになりました。

 在学中にも、別の友人からセント・フォースという事務所があることを教えてもらい、会社のホームページに募集要項も書いてあったので履歴書を送ったんです。ちょうど広島旅行に行った時の、実物の2倍増しくらいよく撮れた写真があったので(笑)、厚かましくもそれを添えて。それから事務所に所属して、テレビにも出演させていただきました

ーーその後、TBSに就職したのは25歳の時ですね。

アンヌ 大学を卒業したあと、日本美術史を研究するために大学院の修士課程に進み、そのまま博士課程へ行くのもアリかな、と思っていました。

 けれど、修士1年の時に、『高学歴ワーキングプア/「フリーター再生工場」としての大学院』(2007年・光文社新書)という新書が周囲で大流行したんです。博士号までとって大学院を出ても、非正規雇用が多く、なかなか就職できないと書かれたその本を読んで恐ろしくなり、就職しなくちゃ、会社員にならなくちゃ、と慌てて就職を考え出したんです。

 では、就職先はどこがいいかと真剣に考えると、アナウンサーかどうか別として、テレビ局やラジオ局がいいなと。私は子供の頃からテレビやラジオが純粋に大好きなんです。テレビ見たさに放課後急いで帰ったり、子どものくせにHBCの『テレフォン人生相談』を聴いたりして、「夫が不倫? それはよくないな~」なんて言っていたんで。

 放送局への就職は大変なので、正直なところ、入れるならどこでもありがたかったんですが、美術史を学ぶきっかけは『世界ふしぎ発見!』(1986年に放送を開始。24年3月いっぱいで終了した長寿番組)を見ていたから。その番組を制作しているTBSに入れたのは、すごく嬉しかったです。

入社翌年に念願の報道番組に抜擢

ーー2010年に入社したTBSでは、ラジオでも活躍されるなか、テレビではニュースを扱う番組をよく担当されていましたね。

アンヌ 入社当時から、「報道をやりたい!」と言っていたんです。

 でも今思うと……入社1年目はいろんな部署に配属されて研修するんですが、バラエティ番組の研修中、ベテランの先輩から「どんな番組をやりたいの?」と聞かれたので「報道志望です!」と答えていたんです。結構失礼ですよね。「先輩の番組でいつかご一緒できたら」くらい言えばいいものを。なんせ当時はとがっていたもので、ホント生意気でした。

ーーでも思いがかなって、入社の翌年には『朝ズバッ!』(2005年から14年まで、月曜から金曜の朝5時30分から8時30分まで放送されたニュースワイド)に抜擢。先日、残念ながら亡くなられましたが、司会のみのもんたさんについて印象に残っていることはありますか。

アンヌ 朝刊の1面を並べて読み比べをするコーナーを担当していたんですが、あらかじめスタッフが赤い線で囲んだ注目記事を、私が読み上げて説明するんですね。隣にいるみのさんがそれを受けてコメントするんですが、「それであなたはどう思ったの?」とか、「この横に書いてあるさ、ホタテが大漁って何なの?」みたいなことを急に聞いてくるわけです。だから注目記事だけでなく、他の記事も全般的に把握しておかないといけないので、油断できませんでした。

 毎朝、通り一遍に同じことをやっていては視聴者の方も飽きてくるじゃないですか。みのさんの一見奔放に見えるそういうスタイルは、しっかりエンタテインメントになっているんですよね。そんなみのさんに対応しようと、私も必死になって、毎朝、新聞全紙を穴が開くくらい読みこんでいましたので、相当鍛えられました。

 2011年の東日本大震災のときは、みのさんが特に被災された方々に寄り添うことを心がけていて、「励みになった」という視聴者の方の意見をかなりいただきました。若い頃からいろいろな経験をされ、苦労を積み重ねた方の想い、みたいなものが届いたんでしょうね。

 お酒がお好きでしたから、前の晩飲みすぎて、本番前までぐったり寝ているといった日もあるんです。もちろん毎日じゃないですよ。でも、番組が始まるとサッと姿勢を正し「やあ、みなさん!」なんて言ってパパッと変わるのはもはや神業でしたね。本当にすごい方でした。今の私があるのはひとえにみのさんのおかげであり、感謝しかありません。

「当時は、本当にとがってました」『NEWS23』を直前で辞退→突然の退職…元TBSアナウンサー小林悠(39)の現在地〉へ続く

(川村 夕祈子)

アンヌ遙香さん ©文藝春秋

(出典 news.nicovideo.jp)

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