【社会】「お金があれば幸せになれる」は大ウソ…森永卓郎さんが「年収300万円でも生きていける」と言い続けたワケ
【社会】「お金があれば幸せになれる」は大ウソ…森永卓郎さんが「年収300万円でも生きていける」と言い続けたワケ
森永 卓郎(もりなが たくろう、1957年〈昭和32年〉7月12日 – 2025年〈令和7年〉1月28日)は、日本の経済アナリスト、エコノミスト、タレント。専門は、マクロ経済・計量経済・労働経済・教育計画、オタク文化論など。愛称・通称は「モリタク」。獨協大学経済学部教授などを務めた。…
98キロバイト (13,586 語) – 2025年4月12日 (土) 15:15
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■お金を求めるほど幸せから遠ざかる
真実→年収300万円で十分な生活水準で暮らせる
「お金はあるに越したことはない」「お金はあればあるほどよい」。これが現代社会における一般的な認識であり、多くの人々が共有している価値観だと思います。しかし、私の長年の経験と実感から言わせていただくと、このような考え方は根本的な誤りを含んでいます。お金と幸せの関係は、私たちが思い込んでいるほど単純なものではないのです。
なぜ、これほど多くの人々がお金の獲得に執着するのでしょうか。その理由は明確です。お金があれば豊かに暮らせる、幸せになれると信じているからです。しかし、これは現代社会が生み出した大きな錯覚に過ぎません。本当の豊かさや幸せは、実はお金では決して買うことのできないものなのです。むしろ、お金を追い求めることで、本当の幸せから遠ざかってしまう可能性すらあります。
たしかに、物質的な豊かさに関して言えば、ある程度までならお金で手に入れることは可能です。快適な生活を送るための家電製品や、便利な移動手段としての自動車など、私たちの生活を便利で快適にするものは、たしかにお金で購入することができます。しかし、それらが本当の意味での豊かさや幸せにつながっているかというと、大いに疑問が残ります。その理由は、物質的な豊かさには際限がないという本質にあります。
■年収300万円でも“豊かな生活”は可能
たとえば高級車を手に入れても、すぐにもっといい車が欲しくなる。億ションを購入しても、もっと条件のいい物件が目に入る。豪華な世界一周旅行を終えても、また新たな旅行先が気になり始める。このように、お金で買えるものには際限がなく、常に「もっと」という欲望が生まれ続けます。そして、その欲望を追い求めている限り、私たちの心は決して満たされることがないのです。
どれだけの富を持っていたとしても、この世の中のすべてを買い尽くすことは不可能です。物質的な豊かさばかりを追い求めていては、永遠に心の満足を得ることはできず、本当の意味での幸せには到達できないでしょう。
では、お金に頼らずとも得られる豊かさは存在するのでしょうか。私は、それは間違いなく存在すると確信しています。現に私自身、決して裕福とは言えない生活を送りながらも、十分な豊かさと幸せを実感しています。もちろん、最低限の生活を営むためにはある程度のお金は必要です。しかし、だからといって大金持ちになる必要はまったくないのです。
具体的な数字で申し上げれば、独身者であれば年収300万円程度、4人家族であっても500万円程度の収入があれば、十分に豊かな生活を送ることができるでしょう。
■「現代に必要なもの」は確保できている
たしかに、世界中を旅して回るような贅沢な趣味は難しいかもしれません。しかし、野草の図鑑を片手に近所の公園へと散歩に出かけて、季節の草花を観察しながらその名前を覚えていく……そんな素朴な営みの中にこそ、お金では買えない豊かさと喜びが存在するのではないかと私は思います。
このような主張に対して、「年収300万円では豊かな生活など送れるはずがない」「公園での散歩程度で満足できるわけがない」と反論する方もいらっしゃるでしょう。
そこで、300万円という収入で実際にどのような生活が可能なのか、具体的なデータをもとに検証してみたいと思います。総務省統計局が実施している「全国消費実態調査」の内容を元にお話ししていきましょう。これは、やや古いデータではありますが、現在でもその傾向にそれほど大きな変化はないと考えられます。
この調査によると、年収300万円から350万円のふたり以上世帯における主要な消費財の普及率は、「電子レンジ=約92%」「冷蔵庫・洗濯機・テレビ=ほとんど100%」「エアコン=約80%」「車=約71%」となっています。つまり、現代生活に必要な家電製品や移動手段は、ほとんどの世帯で十分に確保されているのです。
■都市部にずっと住む必要はない
いかがでしょうか。これを「貧しい生活」と呼ぶことができるでしょうか。少なくとも私には、決して貧しい暮らしとは思えません。
つまり、年収300万円という収入は、決して「少ない」とは言えないのです。これだけの収入があれば、現代社会において十分な生活水準を維持することが可能です。年収1000万円以上を目指して自分の人生を丸ごとお金稼ぎに費やす必要など、どこにもないのではないでしょうか。
みなさんが今、都市部で生活しているのなら、ゆくゆくは居住地の見直しも必要になるでしょう。なぜなら、引退後も現役時代のライフスタイルをそのまま継続するという前提が、そもそも現実的ではないからです。収入の大半を給与に依存している限りは、引退後は、当然のことながら給与所得がなくなります。よほどの大株主でもない限り、生活の支えは年金と貯金のみとなり、収入が大幅に減少するのは避けられません。
この事実を直視すれば、引退後に最優先で取り組むべきなのは「支出を減らすこと」です。そのためには、まず居住地を含めたライフスタイルの見直しが不可欠です。現在の収入を維持し続ける方法を考えるよりも、いかに支出を大幅に削減できるかを模索するほうが、はるかに現実的かつ効果的でしょう。投資には手を出さないほうがよいし、莫大な貯蓄をするのも難しい(むしろ後で述べるように、預貯金を持っていると搾取の対象になりやすい)という状況を踏まえれば、都市部での生活に固執する必要はありません。
■住むなら「トカイナカ」がいい
では、支出を大幅に削減するにはどうすればよいのか。最も簡単で、かつ即効性があるのは、家計の大部分を占める「住居費」の見直しです。家賃を抑える、あるいは住宅を購入して家賃ゼロの生活を実現することが、最も大きな効果をもたらします。そのためには、都会を脱出し、不動産が安価な「トカイナカ」へ移住するのが有効な選択肢となります。トカイナカに住むことで、満ち足りた老後生活が格段に現実的になるのです。
もちろん、大都市にはファッション、グルメ、カルチャー、さまざまな面で刺激的な魅力があります。しかし、その魅力を享受し続けるには、それ相応の経済的な余裕が必要です。お金がなければ、大都市の華やかさはただの「絵に描いた餅」に過ぎません。都会の華やかなライフスタイルを目の前にしながら、それを享受できず、ただ指をくわえて眺めるしかない……。そうした状況に陥るならば、そもそも都市に住み続ける意味自体が薄れてしまいます。
都市部に住むことを「ステータス」と考える人もいるでしょう。確かに、都会で現在生活している人にとって、地方への移住は「都落ち」と感じられるかもしれません。
しかし、本当にそうでしょうか。引退後、都会の魅力を楽しめなくなりつつ、わびしい思いをしながら暮らすよりも、発想を転換して、トカイナカの魅力を発見するほうが、ずっと幸福度の高い生活を送れる可能性があります。本書では、トカイナカの利点についても詳しく紹介していますので、ぜひとも参考にしてみてください。
■収入減少を前提に、生活コストを抑える
また、健康や体力に自信のある人のなかには、「生涯現役こそが若さの秘訣」と考え、引退後も働き続けながら都会に住むことを計画している人もいるでしょう。しかし、その「生涯現役」は、現実的に何歳まで続けられるものなのでしょうか。
日本の公的年金制度を維持するためには、「男性のほぼ半数が70歳まで働き、4人に3人が75歳まで働く」「女性の過半数が70歳まで働き、3人に1人が75歳まで働く」ことが前提とされています。一方、厚生労働省が発表している健康寿命のデータによれば、男性の健康寿命は72.7歳、女性は75.45歳です。つまり、75歳まで働くことを前提とする制度設計そのものが、すでに無理のあるものなのです。
このような現実を踏まえたとき、「都会でずっと働き続け、現役時代と同じ生活を維持する」という考え方は、どれほど現実的でしょうか。健康で長生きできる人もなかにはいるでしょう。しかし、それはあくまで一部の人に過ぎません。健康寿命が100歳まで続く人もいるかもしれませんが、その確率にすべてを懸けるのは、あまりに危うい賭けだといえます。
「都会でなくては暮らせない」という発想から自由になれば、そんな不確実な未来に懸ける必要もなくなります。収入が減ることを前提として、生活コストを抑えながら、安定した暮らしを送っていくことこそが、真に賢明な選択なのではないでしょうか。
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経済アナリスト、獨協大学経済学部教授
1957年生まれ。東京大学経済学部経済学科卒業。専門は労働経済学と計量経済学。著書に『年収300万円時代を生き抜く経済学』『グリコのおもちゃ図鑑』『グローバル資本主義の終わりとガンディーの経済学』『なぜ日本経済は後手に回るのか』などがある。
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