永野芽郁 知られざる駆け出し時代の素顔 「ジュニア時代から車の送迎」 「姉御肌」 「天性の才能」
永野芽郁 知られざる駆け出し時代の素顔 「ジュニア時代から車の送迎」 「姉御肌」 「天性の才能」
1 ネギうどん ★ :2025/05/18(日) 11:37:30.07 ID:DLgIPETu9
なぜ「禁断の恋」に走ったのか
妻子ある男性と不倫したのであれば、永野は職業女優として自覚を欠いていたと言わざるを得ない。だが、世間から袋叩きに遭うほどの悪事をしたとまで言えるのだろうか。
なぜ彼女は田中と「軽率な行動」―いや、禁断の恋に走ってしまったのか。この背景について、周辺取材をもとに思いをめぐらしてみると、永野を見る目が変わってくる。
永野は、小学校3年生だった9歳のときに吉祥寺の商店街を歩いていたところをスカウトされて、芸能界に入った。
「芽郁は明朗快活で言いたいことをはっきりと言える、サバサバした性格です。先輩や同級生よりは後輩と仲良くする姉御肌で、かわいがっている子の面倒も積極的に見ていましたよ。無邪気で活発で、みんなを楽しませるタイプでもあります。一方で、自分を特別扱いしてほしい気持ちが強かったように思います。褒めてくれる人は好き、文句を言ってくる人は嫌いという子どもっぽい側面も持ち合わせていました」(永野の知人)
その顔立ちや話し方から、おっとりとしたイメージのある永野だが、素の彼女は少し違うようだ。とはいえ、どこにでもいるような年頃の女の子であったことがわかる。
その容姿と我の強い性格を見込まれてか、事務所のスターダストは当初から彼女を「スター候補」として扱っていたという。前出の知人がこう続ける。
「駆け出しのタレントは電車通勤が普通なのですが、芽郁はジュニア時代から車の送迎がついていました。どんな舞台でも物怖じしない度胸を買われ、事務所は早く売り出そうとしていたのです。
実際、演技に関しては天性の才能がありました。与えられた役を作り込まずとも、素の自分の延長線上で完璧に演じることができます。加えて華もあったので、絶対に売れると周囲は確信していました。事務所のプッシュも強かったけど、それに見合う実力があったことは間違いありません」
こうして永野は着々とスターダムにのし上がっていく。’18年にはNHK朝ドラ『半分、青い。』でヒロインの座をオーディションでつかみとり、国民的女優としての道を歩み始めた。’24年には映画と連ドラ合わせて3作品も主演を務めている。いまは放送中の日曜劇場『キャスター』でヒロインを務めるなど破竹の勢いだ。