【芸能】「幼稚園の頃から『東大に入りなさい』と母に言われて…」偏差値78の元ミス東大・八田亜矢子(39)が語る“勉強がすべてだった”子ども時代
【芸能】「幼稚園の頃から『東大に入りなさい』と母に言われて…」偏差値78の元ミス東大・八田亜矢子(39)が語る“勉強がすべてだった”子ども時代
現役東大生タレントとして脚光を浴び、クイズ番組などで活躍してきた八田亜矢子さん(39)。幼い時から東大を目指し、名門・桜蔭中学校に入学するも自主退学。その後、筑波大学附属高等学校に進学し、東大合格を掴み取った努力家だ。
結婚後は一時、京都に住まいを移し、学生だった夫を支えながら芸能活動を続け、現在は事務所に所属しながら3歳になるお子さんの子育て中心の生活を送っている。そんな八田さんに、家庭での勉強法から「東大女子」をめぐる世間の反応など、話を聞いた。(全2回の1回目/2回目に続く)
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産後、クイズ番組に出演したらボタンを押すタイミングが鈍くなっていた
――2020年にお子さんを出産されました。今はどんな生活ですか?
八田亜矢子さん(以降、八田) 子どもを生んでからはほとんどお仕事をしていないので、子ども中心の生活です。検索ワードも子どもに関することばっかりですね。
――たとえばどんなことを検索してるんですか。
八田 小さい時は「離乳食 作り方」とかでしたけど、今は「3歳 すごろく」とか。あとは一緒に遊びに行けるイベントなんかを探していると、あっという間に時間が過ぎちゃいます。
――八田さんといえば、『東大王』(TBS系)をはじめとしたクイズ番組での活躍が印象に残っています。産後、クイズ番組に出演して違いはありましたか。
八田 今はまた違うと思うんですけど、産後数ヶ月って頭はぼーっとしているし、闘争心が失われているな、と感じました。ボタンを押すタイミングも鈍ってて、大人とのコミュニケーションもうまく取れない。言葉は悪いですけど、私、鈍くなったな、と思ってしまいました。
母に「勉強勉強」と言われていた幼少期
――クイズ番組の復帰に当たって準備もされましたか。
八田 搾乳しながらクイズ用のアプリを使って問題を解いたりしてました。あのアプリ、もう開くことはないかもなぁ(笑)。子どもを生む前は、自分の時間も大切にしたいと思っていましたが、生んじゃうとやっぱりかわいくて。自然と子ども中心になっていきました。
――今お子さんは3歳ということですが、八田さんはそれくらいの時期から勉強をしていたそうですね。
八田 母が本当に教育熱心で、幼稚園の頃から「勉強勉強」と言われていました。4つ上の姉がいることもあって、姉の教科書なんかを譲り受けて、先取りで勉強させられていたんです。
――お母さんは怖かったですか。
八田 それはもう(笑)。今なら通報ものだと思いますが、怒られて家から追い出されたりしてました。当時の親は絶対的な存在で、逆らうなんてありえない感じでしたね。
でも、母は働きながらほぼ一手に家事もこなし、教職でもないのにみっちり勉強を教えてくれたわけで、感謝と尊敬もしています。
「東大に入りなさい」母が娘の東大進学を希望していた理由
――東大進学はお母さんの希望だったのでしょうか?
八田 小さい時から「東大に入りなさい」と言われていました。大学の意味もわからないのに、「東大」という単語だけは幼稚園くらいから知っていたくらいです(笑)。
母の父が東大出身だったんですけど、母は自分の父を見て、「東大さえ行けば将来安泰」というイメージがあったんだと思います。
――そんなお母さんの期待に応え、屈指の東大進学率を誇る桜蔭中学校に合格します。
八田 私の人生の中でも、なかなかのハイライトだったと思います(笑)。桜蔭を選んだのももちろん母で、「東大に一番近い学校だから」と。
――小学校時代は塾に通って勉強を?
八田 塾に通い出したのは遅くて、小学6年生からだったんです。それまではずっと、母が勉強をみてくれていました。
といっても毎日じゃなくて、参考書をポンッと渡されて、「1ヶ月後にテストをするからそれまでに覚えなさい」というスタイルでした。テストができていないとめちゃくちゃ怒られるので、期日までに猛勉強して詰め込んでいたんです。
――小さい時から勉強に追われていたということで、子ども時代はぶっちゃけ、つらくなかったですか?
八田 楽しみは、週に1回の「大河」でしたね。基本的にテレビはNGで、日曜日の週1回、3時間だけ見ていい決まりがあって、見られる番組も縛りがある中、大河ドラマはOKだったんです。それと、18時からはじまるフジテレビの2時間のアニメ枠。あ、大河は45分だったはずだから、正確に言うと1週間のうち2時間45分だけテレビが許されていたんです。
――八田さんが小学生の頃というと、『ボキャブラ天国』(フジテレビ系)や小室哲哉の「TKサウンド」などが流行っていた時代で、テレビ番組が会話の中心になることも多かったかと思うのですが、不自由はなかったですか。
八田 学校の友だちは私の家のことをわかっていたので、逆にいろいろ教えてくれました。ただ、そんな環境だったので、好きな芸能人の話になっても、自分だけ「『三国志』の孔明が好き」みたいな感じではありました(笑)。
――テレビが見られない分、本をたくさん読まれていた?
八田 漫画も基本的にNGだったんですけど、歴史や科学のものだとOKで、横山光輝さんの『三国志』は60巻すべて家に揃っていたんです。好きな巻を答えられるくらい読み込んでいて、孔明には恋してました(笑)。
娯楽に飢えていたから、国語の教科書は隅から隅まで読んでましたし、図書館でもめちゃくちゃ本を借りてましたね。
友だちの家でこっそりゲームをしていると、母から電話が…
――それが勉強にも活きたと思いますか。
八田 それは間違いないと思います。もともと算数は得意でしたが、国語も、本を普段からたくさん読んでいたので特別に勉強しなくてもできました。
でも、今は逆に年間1冊も読んでないです。漫画とゲームばっかり(笑)。
――かつて制限されていた反動でしょうか。
八田 ほんっとうに当時スーファミ(スーパーファミコン)したかったので(笑)、反動がきてるのかもしれないですね。なんでもやり過ぎはダメだなと思います。
たとえば、勉強を投げ出してこっそり友だちの家に行ってゲームをしたくても、会社にいるお母さんが家に電話をかけてくるから、バレちゃうんですよ。それにやっぱり、親が怖かったから、たとえば門限を破るとか、そういうこともしようと思わなかったです。
公立中学に編入後、偏差値78の超難関校・筑波大学附属高校に合格
――努力の末に勝ち取った桜蔭中学校の合格ですが、3年生で自主退学。公立中学校に転入したそうですね。
八田 途中で辞める生徒はほとんどいないので、周りも「本当に辞めるんだ」って驚いてました。「スカート丈は膝下5センチ」のような感じで、校則がすごく厳しくて。国立付属高校に通っていた姉の自由な校風を見ていたこともあり、当時とにかくおしゃれがしたかった私は、それに耐えられなくなってしまって。厳しい校則も理解した上で入学しているので、自分が悪いんですけど。
ただ、女子校という環境自体はすごく好きでした。他愛のない話から学問の話まで気兼ねなく話せる女友達は一生の宝物だと思っています。
――公立中学から再び受験し、偏差値78の超難関校・筑波大学附属高校に合格します。すごいですよね。
八田 それも桜蔭のおかげですね。たとえば高1までに高校3年間の勉強を全部終わらせるようなスピード感で学習をしていたので、桜蔭の中ではそんなに優秀じゃなかった私でも、公立校や塾で困ることがなかったんです。
――ご自身が子育てをする中で、今、親から受けた「子育て」を振り返ることもありますか。
八田 それはありますね。私は「勉強がすべて」みたいな家庭で育ってきているので、勉強はできたほうがいいし、やらなくてはいけないもの、という価値観が自分の中に強烈に根付いていることを感じます。
東大合格後に「自分が何をしたいのかわからなくなった」
――お子さんの勉強にもつい熱が入ってしまう?
八田 子どもには遊びの中で学んで欲しいと思っていて、私も遊びながら色々と教えたりするんですが、「私はこの歳の時にこれができたから、この子もできるはず」とつい熱が入ってしまうことがあって。子どもは私とは全く違う人間だと頭ではわかっているのに、気を抜くと同一視しかけている自分に、これはマズいぞ、と感じました。
それに、私自身は親の敷いたレールを疑いもせず歩んできてしまったことも反省点のひとつで。
――お子さんにはそのようになってほしくない?
八田 東大まで行かせてもらった両親には本当に感謝しています。でも、私自身のゴール設定が、東大に入って母の干渉から逃れることだけになってしまっていた。だから受かった後は、自分が何をしたいのか、本当にわからなくなってしまって。
うちの子もすごく聞き分けがいいので、ちょっと心配しています。手がかからないといえばその通りですが、自分で考えて解決する力を育んでほしい。そのためにも、私は干渉しすぎないことを肝に銘じていかないと、と思っているんです。
撮影=杉山拓也/文藝春秋
〈「東大まで行ってそんなことして」「東大でこの程度」と批判も…ミス東大→タレントになった八田亜矢子(39)が感じた“東大出身の重み”〉へ続く
(小泉 なつみ)